Happy 30th Birthday

桜が蕾をつけ始めた頃、母からの電話。
「お誕生日会をしようか」

年度末で何かとばたついていたものの、もちろん答えはYES!
大人になると誕生日会を祝ってもらえる機会も少なくなり
実はけっこう嬉しかったのだ。



テーブルにはシャンパンと誕生日ケーキ、そして私が幼い頃愛用していた
帽子やぬいぐるみをのせ家族と共に誕生日会を楽しんだ。

誕生日を理由に何かと根つめすぎる私をゆっくりさせてあげたかった、と母。
遠くに居ても我が子を思う気持ちに感謝を覚えます。
30thという節目、生まれ育ったこの町に顔を出せて本当に良かった。



名前の由来でもある桜の花があちらこちらで咲いている所を
見ながら春うららかな町を散歩したり数時間ではあったものの
仕事にプライベートと忙しく生活していた私に
ホっと一息つける一時となった。

さぁ、楽しみにしていた30代の幕開けです。
家族全員が健康でいてくれる、それ以上願う話はありません。
これからも変わらず一つ一つ真面目に積み重ねていく気持ちで
邁進していきたいと思います。

私にタップを教えてくれた人

今日はこの方の話をしましょう。



私の祖父 高杉 寿。(タカスギ ヒサシ)
この人が私にタップダンスを教えてくれた人でした。
今日は祖父と私の歩んだ道についてです。

私が初めてタップシューズを履いたのは5歳。
そして祖父は65歳。

今思えば、よくぞまぁ
話を理解しているのかも分からない子供に
基礎からしっかり教えてくれたなぁ・・・
と5歳児を育てている今、心から感謝しています。

祖父は私にタップダンス以外にバレエ、ジャズ、アクロバット
様々な振り付けを付けてくれた訳ですが
当時の祖父は既に70歳手前。
現役は既に引退しており、私が物心つく頃には足も巧みに動くわけでもなく
TAPの音はかすれてよく分からない。
今考えると日々の公演とトレーニングで身体はボロボロだったのでしょう。

アクロバットに関しては、教えるのはいつも口ばかり。
さも簡単そうに「ポーンポーンってやりゃいいんだ」と。
その後は決まって必ず「出来るよ」と笑いながら言いました。

当時は今のようにインターネットやyoutubeで検索という訳もいかず
写真も映像もない状態で、手がかりは祖父の「ポーンポーン」・・・

よくなかったと思う事は
先生といってもおじいちゃんと孫
この関係性がよくありませんでした。
あまえが出るのです。
レッスン中にベビースターラーメンを食べていたり
自由気まま好き勝手にやらせてもらっていました 笑
タップシューズは忘れてもベビースターラーメンは
ちゃんと持っていくんですから・・・

それでも祖父は怒る事もなく、いつも笑っていました。

甘える気持ちはさらにエスカレートしていくのですが
何をしても怒らないで笑っている祖父。
しまいには笑っている事にすら腹を立てるようになり・・・
どっかり、わがまま孫です。
毎回、自宅に帰ると「最高だった」と褒められる。

いつしか「最高」も当たり前のものとなってしまいました。
井の中の蛙とも知らず。
でも、ちょっとだけ知っていたのです。
だから他の世界を知るのが怖かったのでしょう。

それが小学生の頃の自分でしたね。

でも「最高」の魔法が終わる時がきました。
中学生になり、祖父母と一緒に見に行ったタップダンス協会のイベント。

他のタップダンス教室が沢山出演していました。
そこで初めて出会ったのが火口ダンススタジオでした。
「FUNK A STEP」というタップダンスを原型にした新たなスタイル。

私が知っている従来のタップダンスとは比べ物にならない位
斬新な世界が目の前に飛び込んできました。
自分が一番なんかじゃなかった事よりも
このスタイルを自分に取り入れたくて取り入れたくて。
今思えばこれが旅立ちの時だったのかもしれません。

私が火口スタジオでレッスンを受けたいと話した時
祖父は、いったいどんな気持ちだったのだろう。

戦後の混乱期にも関わらず、自分が「良い」と思ったも世界に飛び込んだ祖父です。
きっと情熱を止められない事も分かったのではないでしょうか。
優しく私を送り出してくれました。

天まで伸びていた鼻を根元からポッキリと折られましたが
そこから特訓の日々が始まり新たな一歩を踏み出したのです。

あれから何年が過ぎたでしょうか。
2年前に祖父が他界した時のこと。
斎場に祖父の最後に使用していたタップシューズと
祖父の現役時代の写真を飾ろうと出てきた写真を見て
もうびっくり。

初めて頭のあがらない存在だった事に気づかされました。
ここからは、祖父の現役時代の写真を掲載したいと思います。



その時の内容によって人数編成は違うみたいなのですが
当時はスピードダズラーズというチーム名で活動していた
ようです。
何年前のものなのか・・・
戦後というざっくりとした事しか分からないけれど。
もっとちゃんと本人から色んな話を聞いておけばよかった。

覚えている話としては、祖父がタップダンスを初めて
習ったのは小学校5年生の時だったそうです。
もちろんお月謝は子供が払える額ではなかった為
父親の大切にしていた書物を売って、こっそり月謝にかえていたとか。



破天荒っぷりは子供の頃からだったんでしょうか
現役時代は血が濃くて大変だったと昔から祖父を知る人は
口をそろえて話していました。
私が知っているのは優しすぎるおじいちゃんだったので
どうも一致しなかったのですが、
確かにこうやって写真を見ていると少しクレイジーな匂いがしますよね



「ぽーん」はこれだったのでしょうか・・・
ちなみに、中段で松明を扱っているダンサーが私の祖母。
祖父には祖母の事を出来ない生徒だったと聞かされていました
一緒に仕事をしているメンバーだったんですね。
本人が亡くなって何年も経ってから知りました。



また「ぽーん」だ。

とにかく恐かったらしく「出来ない」という事だけは皆
口が裂けても言えない空気だったそうです
実は昨年のスタジオダルクとのコラボ企画の時
はんにゃのお面が使いたくて、、、
そういえば祖父の使用していたはんにゃがある!!と
付けてみるもなんとも視界が狭いこと。



一見普通そうに見えますがこのお面。
実は能のお面で目の穴は2cmも開いていないのです。
2cm。お分かりでしょうか?
豆まきの時期に豆のおまけついてくる紙のお面の穴です。
しかもこれは木を彫って作られている為とても重たい。
泣く泣く諦めたのですが、これでアクロバットをしていた
スピードダズラーズは超人の集いだったのかと。



私がラスベガスに行ってきて土産話をしていても
「昔やっていた事」と話がいつの間にか
すり替わりまたも「ポーンポーン」・・・
お年寄りは昔話ばかりすると思っていましたが、
本当の話をしていただけなんですよね。

こちらは客船でしょうか・・・


なぜ祖父のポップコーンの発音が「パップコーン」だったのかが分かりました。
当時は笑って訂正していた私でした・・・
戦後の日本には沢山のアメリカ人がいて、その中に飛び込んで
踊っていたからなんですね。
パップコーン。大正解ですね。



あまりに格好良すぎる数々。
誰にも負けたくなくて、どれも力がみなぎっいて
いつだって自分を一番だと思っている。
その気持ちが写真にしっかり映ってる。
私がクラシックにこだわる要因はここなのかもしれない。



私は一人だけで出来ている訳じゃない。
私の前にはちゃんと歴史があって、こうしてレールが
繋がっていくことは本当に素敵な人生だと思う。

そして今、小さなタップダンサー3代目が
ステージで踊り初めているのだから。
 

誕生日

 つい2日前に28歳になりました。
メッセージを頂いた方々、ありがとうございました
まだお返事が出来ていない方も、いらっしゃるかと思いますが
必ず書きたいと思っていますので、今しばらく待っていて下さいね

こう振り返ってみると、たった28年間しか生きていなかった事に
自分自身で驚いている次第です

内容が濃かったというか、とにかく満足のいく人生を歩めている事に
今あらためて幸せを感じています

学生の頃から目標が明確だった為、社会で問題となっている
「やりたい事がない」事態に遭遇せずに済んだ事は
本当に良かったと思う。
そのかわり、遊ぶ時間は無かったかもしれないけれど
目標に向けて まじめ一辺倒な人生は最高でした!
未だにスタンスは変わらないし
しばらくは、この調子で頑張っていたいと思っています。
ただ…真面目に生きているとバカを見る事も沢山ありました。

けど、それでもいいのです。
それでこそ私なのです。

実は数年後の30代をずっと楽しみにしてきました。
学生の頃から何となく自分の30代が良さそうな気がしていて・・・
でもこの話をする度、まわりの人達が口をそろえて
「三十代近くなった頃に、気持ちが変わるよ」と言われていたのですが
自分の事はやはり自分が良く分かっているのですね。
結婚も出産も早かった事もあり
やはり30代は、とっても面白そうな気配がしています。

そういえば10代最後から20歳になる時には
とても怖かった事を、よく覚えています。
とにかくもう、笑って許してもらえない という事が怖くて怖くて。
新たなる決意で二十歳になった日を覚えています。

それに比べて20代から30代の道のりは気持ちが違います。
とても楽しみなのです。
少し自信がついたのかな?
そうだといいのだけど。
ずーっと自分に自信がなかったから。


28歳になった私は、秋に控えている舞台に向けて構成を考えています
今まで自分が観てきた世界が、心の引き出しに沢山眠っている。
その引き出しを引っかきまわして、思い描いた世界をノートに書き綴ってみたり
日々アーティスティックに生きている事が
我ながら誇らしく嬉しい今日この頃です。




息子の保育園も無事に決まり4月からは、ますます仕事に専念出来そうです
これからも、どうぞ宜しくお願い致します

家族の話。

 あっという間に3月になってしまいました。
皆さんお元気でいらっしゃいましたか?

私の方は、仕事も落ち着いてきたところでしばらくぶりだった友人に
会いに行ってみたり、やりたかった事やらなくてはいけなかったことなどを
一つ一つクリアしたりと過ごしておりました。

わざわざブログで公開するまでの内容ではないのですが今日は久々に
プライベートな話を何点か書いてみようと思います。



ダイエットの話。

最近といえば、TAKUYAの体重が・・・増加しました。
この仕事をしていると繁忙期の秋から冬にかけてでジムにも道場にも行けず
道具の多い我々の交通手段は全て車。
その生活のせいか毎年2月から3月はかなり出来あがっているのです。
毎年笑って見ておりましたが、今年はダイエットメニューとまではいきませんが
食事面でサポート出来ればと応援しています。
毎週決まった日に体重やら体脂肪を測定をしてみたりと、けっこう面白いですね

しかし、もともとサラダ好きなせいか、レタス半玉はゆうに食べます。
飽きが来ないようにあれこれ考えながらも野菜の高いこのシーズン。大変です。



やってみると以外とサラダってお腹いっぱいになりますね。
是非皆様もお試しください。




ー 息子の話 ー

息子がおたふく風邪にかかりました。
二人とも仕事の日だったので預け先に本当に困りました。
子供ってすごいタイミングで風邪退いてくれます。
でも、状態はずいぶん軽い症状だったらしく病院に行くのにこの格好・・・



自分でコーディネートしたんですよ?
まったく毎日笑わしてくれます。

この春から保育園に入れるものと思っていましたが空き状況が厳しいようで
今だに審査中という非常事態。
すっかり大人の中で育った息子はとんだ変わり物になってきているようで
恐ろしいです。
このポーズが全てを物語っています・・・




ー 卵が孵った話 ー

ついにハトの卵が孵りました!


ここのところ卵がさっぱり孵らず、どうしたものかと思いながらも必死で産んでは
卵を温めるハトをこっそり陰ながら応援すること数カ月。
やっと2月15日に一つ孵りました。

生後2日目


生後8日目


生後11日目


生後19日目


孵化するまでは、人工的に手をかけるよりも本人に任せてそっとしておくのが
ベストだと聞いたものですから、そっとしておこうと思ったのですがどうしても
気がかりで気がかりで、、、
餌箱に入って暖めていたので小さな空き箱をプレゼントしたらものすごい剣幕で
怒っていましたが、その割にすぐ入って寝てました・・・
ある時は巣の材料にでもしてくれればと思い藁をプレゼントしてみたらまたも
逆鱗にふれたようでもうすごい勢いで怒り藁をふんだくっていきまいたが
そちらも採用してくれたようで・・・
もちろん、まったくもって私の想いは彼らには届かなかったようですが、
とにかく無事に元気な赤ちゃんが生まれてくれて良かった。

いつもそうなんです。
やっぱり彼らは彼らを仲間とし生きているのでどんなに愛情を注いでも
私には常にクールな対応 笑
でも、いいんです。
彼らが幸せに暮らしてくれていればそれだけでいい。
何と言ってもうちのスターたちですから。
とにかく日光浴から大好きなお風呂、カルシウムとビタミン配合の飲料水、そして
一日2回の掃除。
大切なメンバー達にこれからも住みごこちの良い環境を約束します。

・・・と、こんな所でしょうか。
特に何があるわけではないのだけど日々こうやって毎日が過ぎるって
幸せなことですね
明日はどんな一日になるでしょうか。

おやすみなさい。




犬が好きになった理由

 犬が好きだったり、猫が好きだったり、鳥が好きだったり‥‥

どうして大好きな動物がいるのでしょう?
なんてことのない話ですが、思い返せば皆それには理由があるのかもしれません。

私?
私は断然、犬が大好きです。


実は昨年の春、愛犬おはな(通称はーちゃん)が19歳で亡くなりました
震災から暗いニュースが続いていたので、すぐには書けずにおりました
このまま載せずにおこうかとも思いましたがやはり発信したい記事だったので
今日ここでアップさせてください。



はーちゃんは、私が子供の頃我が家に来てくれました
後から聞けば兄弟が居なかった私を気遣った両親からのプレゼントだったとか。
そんなことは、まったく気にしていなかった私ですが、やはり家族で出掛けに行くときは
最高の遊び相手となってくれました。
小さい私に合わせて小さい体の はーちゃん。どこへ行くのも一緒でした。




ある時、思うことがありました。
「私がお嫁さんになってこの家を出て行く時、はーちゃんはどうなるの?」
心配する私に母は笑ってこう言いました。
「桜が結婚する頃には、はーちゃんはとっくに死んじゃってるよ。」

それはそうです。
当時、私は小学校2年生でしたから。

動物を飼うということは最後の最後まで面倒をみる。大変な責任です。
まして犬。
決して短命ではない。
皆そう思っていましたがこれ程までとは、、、

それにしても19年私のそばにずっと居てくれましたね
沢山思い出が溢れています。
小さい頃、夜中トイレに行けなくなっては、はーちゃんを無理やり同行させました。
嫌いな食べ物は、こっそりテーブルの下から受け取ってもらってました。

そういえば、初めてマジックを見せたのは はーちゃんが最初のお客さん。
ニンジンの消失。
騙されてくれてありがとう。

家にTAKUYAを連れてきた時は、怒って帰るまで吠えてました。
結婚しても毎回来る度吠えっぱなし(笑)

でも息子が生まれた時は可愛がってくれて、ふざけて足を舐めては走ってました。
沢山の小動物を飼ってきましたが、どれを可愛がっても嫉妬の鬼だった はーちゃん。
息子だけは特別だったみたい。
家族が増えた事を理解してくれたんですよね。


出産してから数日。
私は、はーちゃんを両親に託して実家を離れた。

そこからだった。
あれよあれよという間に身体が細くなって、手足も自由がきかなくなって、、、
大っ嫌いなTAKUYAが来ても吠えれなくなっちゃったしね。



その時、悟りました。
交代の時が来たんだって。
19年も一緒に居たって想うことは、ただ一つ。



もっと一緒に居たかった。



私が犬を大好きになった理由は間違いなく、このはーちゃんが居てくれたからです。
皆さんの中にも、このような経験をして来た方が沢山いるはず。



思い出してみて下さい
大人になるにつれて、忘れてかけていた大切な家族のことを。
 

新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます
2012年になり11日が過ぎました。
私達家族は、といいますと現在仙台に里帰りしておりました。
変わらず元気に過ごしております。
昨年の暮れからブログはステージのものだけに少しづつ移行しておりました
プライベートな写真ははmixiに公開していきたいと思ってますのででご覧いただけたら
嬉しいです。

さて仙台にもちょくちょく顔を出してはおりましたが、やはり仕事で帰ってきている手前
なかなかのんびり過ごすことも許されないのが、いつものことでしたが里帰りとして改めて帰ると
そこはといつもと違った心休まる場所に変わるのです。



今朝、目を覚ましたらお庭が雪化粧をしていました
東京育ちの私にとって雪はやはりいくつになっても珍しいもので、すぐにカメラを持ち
コートを羽織って冬の一枚を探しに家の周りを散策したりしておりました
実家から数百メートル歩けば、では今も震災の傷跡がはっきり残っているんですよね。



昨年、東日本大震災が起き、とても現実とは思えないような光景を目の当たりにして
自分の中で様々な意識が変わりました。
自分のこと、家族のこと、日本のこと、地球のこと。
仙台に帰るたび海沿いに立ち寄るようにしているんです。もう何も無いんですけどね。
海はすごく静かで綺麗で。
でも…未だにシャッターをきる気にはなれずにいます。

仙台のテレビ局では、どのチャンネルをつけていても震災について放送されているのに
東北を離れると、ほとんど放映されていない事に少し疑問を感じています
忘れるわけのないこの土地でこんなにも取り上げられているのに場所が変われば、もう過去の出来事。
考えちゃいますよね。

個人で出来ることなんて本当にわずかな事とは知っていますが、
微力ながら支援し続けていきたいと思います。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

ecology


 
BODY SHOPで買い物をしたらおまけでボールペンを頂きました。
CDをリサイクルして作られた物だそうです。

エコバックも毎回形を変えてプレゼントしてもらってます。
ちなみにエコバックは全てペットボトルのリサイクルによって作られたもの。
ちゃんと頂いたのエコバックでお買い物してビニール袋は貰わないようにしてますよ〜
こうやって、リサイクルによって出来た品を見るとやる気になりますよね

さてさて、エアコンを使わない生活にもずいぶん慣れ、工夫を重ねてみれば不思議とこの
湿気と暑さが心地よく感じられるようにまでなりました。




原子力発電所の事故から始まりテレビやラジオ、雑誌等で電力に頼らない
エコ特集が本当に増えましたね
雑貨屋さんを覗いてもあちこちでエコグッズが販売されています

どこへ行っても耳に入るエコライフ。
それは、流行っても廃ってはいけないものです。
だから必死になりすぎるのもどうなんでしょう。
辛いと人間続きませんからね。
でも地味に活動していればいたで、こんな小さな行動をしてどれだけの力に
なるんだか、、、時々思ってしまいます。
ところが、これをみんなして思ってしまったら一歩も進まないのが現状なんです
小さな努力を続けていくしかないようですね。
元を辿ればいくらでも原因は出てしまうけど、誰かのせいにしている場合ではありません。
今を生きているのが私達なら私達の手で地球を治療しなくてはなりません。
子供達の為にも一刻も早く。
本当に人間は危機が訪れないと変われないものだと実感している今日この頃です。
でも気づいた時から変わればいいんですから。




お水を大切に使ったり捨てる前に再利用できるか考えてみたり、何か一つでもアクションを
起こして地球に少しでも貢献出来たら嬉しいです

野音。



ここは日比谷公園の中にある野外ステージ。
緑と空に囲まれ、一歩外へ出ればのどかな散歩道が広がっています。

昨日は、細坪基佳さん(元ふきのとう)のコンサートがあり
野音に行ってきたのですが、夕方16時からの開演だったので空はまだ青く
さわやかな風からは緑のいい香りが流れてきました。

ステージから見える空は格別でしょうね
その声、その音が天にも届くような気がするのではないでしょうか。
マジックのように何かを隠しながらステージに立つのとは訳が違う気がします。
全てを前に発信出来てる。そんな風に見えました。
楽屋で合った父も生き生きしていて・・・

私もそろそろ変われる日が来ないかな。


いやいや、待っていてはいけませんね。



こういう良いステージを見るといつも自分に問いかけてしまう。


 

工夫して暮らしています

何度も地震や余震があるうちに体感が狂ってきました
揺れていないのに揺れている気がしたり、はたまた揺れている事に気がつか
なかったり、テレビの映像が揺れているだけで地震かと勘違いしたり。

なので我が家はテレビ横に常に余震計としてワインの入ったビンを起きました



色が着いているせいか水より見やすくて便利。

そして昨日は夜から計画停電にもなりました。
懐中電灯が想定していたよりかなり暗い、、、というより灯りが一点集中型と
いうことが分かりやむ終えずキャンドルを点火しました。



やはり明るかったものの、幼い子供のいる我が家ではこのキャンドルが
恐ろしくストレスに。
火災だけは避けたいですからね。
そこで役だったのがこちら。



倉庫から事前に取ってきていたこの押しボタン式ライトを部屋の電球に乗せた
ところ驚くほど効果を発揮しました
ほとんど生活に支障ないほどでした。
もし、皆様もご自宅にこのようなライトをお持ちでしたら上から吊してみては
いかがでしょうか?

昨夜はかなり冷え込みましたので被災地の皆様が本当に心配ですね
少しでも早く皆様の元に救援物資が届きますように。

地震

ここ数日ゆっくり眠れない状況が続いてますね

皆さん体調などは崩されていませんか?
こんな時大切な人達の顔が浮かびます
どうか皆様ご無事でありますように。

我が家も家族をはじめ友人達が宮城県に沢山います
今はただ情報収集に明け暮れる日々です

そんな中ふとベランダに目をやるとなかなか花をつけなかった一つの蕾が
頑張って咲こうとしておりました



その様子を見ていたら今、震源地でも生まれてくる沢山の命があるという
現状について考えてしまいました
大勢の命が絶たれる中、生まれてくる新たな命。
きっと沢山いることでしょう。
お母さんもお腹の中の赤ちゃんもどんなに恐い思いをしていることかと、、、
一刻も早くこの状況が治まってくれることを今祈るばかりです

皆様は大丈夫ですか?
まだまだ油断出来ない毎日ですが、どんな状況になっても一人一人が一生懸命
生きる気持ちを忘れないで、またいつか笑顔で再開する。
約束したいですよね。

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