Happy 30th Birthday

桜が蕾をつけ始めた頃、母からの電話。
「お誕生日会をしようか」

年度末で何かとばたついていたものの、もちろん答えはYES!
大人になると誕生日会を祝ってもらえる機会も少なくなり
実はけっこう嬉しかったのだ。



テーブルにはシャンパンと誕生日ケーキ、そして私が幼い頃愛用していた
帽子やぬいぐるみをのせ家族と共に誕生日会を楽しんだ。

誕生日を理由に何かと根つめすぎる私をゆっくりさせてあげたかった、と母。
遠くに居ても我が子を思う気持ちに感謝を覚えます。
30thという節目、生まれ育ったこの町に顔を出せて本当に良かった。



名前の由来でもある桜の花があちらこちらで咲いている所を
見ながら春うららかな町を散歩したり数時間ではあったものの
仕事にプライベートと忙しく生活していた私に
ホっと一息つける一時となった。

さぁ、楽しみにしていた30代の幕開けです。
家族全員が健康でいてくれる、それ以上願う話はありません。
これからも変わらず一つ一つ真面目に積み重ねていく気持ちで
邁進していきたいと思います。

2014年について振り返ってみました。

今年もあっという間に師走を迎えたようですが、みなさんの一年は
どんな年だったでしょうか?

今年一年の写真をオフショット含め載せておりますので一緒に楽しんで
いただけたら嬉しいです


2014.02.03 難波田城公園にて 竹ぽっくり

新しいことが苦手な私でしたが毎年少しづつ「チャレンジする」と
いうことを楽しめるようになりました
今年の春から始めたタップダンスインストラクターの話もその一つ。
予定では引退後に再始動しようと思っていたタップダンス教室でしたが
誰かにチャンスを与えられた時「これが私のはじめるタイミングなんだ」と
思えるようになったようです。
喜んで引き受けている自分がいました。
毎週熱心な生徒さん達とレッスンに励んでいます。
きっかけを与えてくださったTanBaさんに改めて感謝いたします。

2014年にチャレンジした事はまだあります

2014.03.30 バナナアート。 楊枝で刺して妖怪ウォッチを描く。

いつもお世話になっているスタジオダルクさんの公演にて振り付けの
お仕事をいただきました。
卑弥呼をテーマにした舞台とのことでオーダー内容は
雨乞いのタップダンスでした。
ただ卑弥呼の時代にタップシューズはもちろん無く・・・
史実を忠実に再現しなくても良かったのかもしれませんが
やはりタップシューズがどうしても抵抗があり、考え抜いた挙げ句
「裸足でタップ」を決断!!

無音のステージ。

祈りを込めた民衆たちが大地を踏み鳴らす。

杖で床を叩く音や手足を使ったボディーパーカッションを
含めた総勢11名のアクト。

作り始めればイメージはすぐに湧いたものの、私自身が
舞台に立つことが出来ず、、、そこからが問題でした。


2014.03.31 豊島園エルドラドステージにて

タップダンサー達ならまだしも、出演するキャストは全員タップ未経験者。
無音なだけにテンポキープが難しくとにかく音が合わない。
無理難題だったのかもしれない。
しかし、スタジオダルクさん達と昨年舞台を一緒に作り上げた時に知った
みなさんの熱意、貪欲さを信じていたので1つ賭けに近いものが
あったかもしれませんがこの一曲に決めてみたのです。


2014.05.15 国立演芸場 THE MAGICにて

当日は残念ながら仕事の都合で応援に駆け付けることが
出来ませんでしたが、練習の成果あってしっかり熟していただいたと
先生からご報告を受け、これまたやってみて良かった。そう思えた出来事でした。
斬新なシーンとして効果を発揮してくれたと信じています。
25年間ため込んできた頭の中の引き出しが今になって面白いアイディアと
なって出てきてくれています。


2014.06.06 ナスパニューオータニにて 第13回日本海マジックコンベンション

あと、今年初めてと言えば私の事ではありませんが
息子のジョーが舞台デビューしたことでしょうか。
習い事というのは特にはさせていませんが、実戦で学べることは
沢山あるのではないでしょうか。
大変良い経験となっているはずです。
こちらも来年はどんなことにチャレンジしてもらいましょうか。
楽しみですね。

2015年は次のステップの幕開け。
新しいことが沢山あって正直その分不安も抱えておりますが
出来るだけ今年の様に1つ1つを楽しんで熟していきたい想いです。


2014.10.22 横浜市開港記念会館にて

では、良いお年を。

■    「シンフォニーカウントダウンクルーズ」
会 場  シンフォニー モデルナ
住 所  〒105-0022
     東京都港区海岸2-7-104
日にち  2014年12月31日(水)
運航時間 22:30 〜 25:10
料 金  ¥13.500-(キャンセル待ち)

■    「新春マジックショー」
会 場  アピタ岩槻店
住 所  〒339-0013
     埼玉県さいたま市岩槻区大字大口800
日にち  2015年1月1日(木・祝)
時 間  1回目 13:00 〜 13:30
     2回目 15:00 〜 15:30
料 金  観覧無料

■    「としまえん ニューイヤーステージショー」
会 場  豊島園 エルドラドステージ
住 所  〒176-88531
     東京都練馬区向山3-25
日にち  2015年1月2日(金)
時 間  1回目 12:00 〜 12:30
      2回目 14:00 〜 14:30
料 金  観覧無料


 

いってらっしゃいませ。

初めて会ったのは12年前。
その頃の彼は舞台に上がったことすらなく
右も左もわからないあの人のことを
頭の先から足の先まで馬鹿にしていました

結婚して6年。
36歳という年齢にも拘らずやたらと物事に貪欲になってみたり
やりたいことにトライする日々を送る彼を横目に正直羨ましさすら
感じていました。

子供のようにめきめきと成長を遂げ一つ一つ目標をクリアしていく。
確実に1歩1歩、夢を叶えようとしているのだ。
こうなってくるとこちらは自然と「支える」立場になっていて
今では散々小ばかにしてきたあの人の靴を必死に磨き
出張のための身支度を弟子さながら頑張ってる自分がいる!



すごいなー。
「この先、偉くなっても優しい人でいてね」ってちょっとだけびびってる・・・笑

お気をつけていってらっしゃいませ!!



 

ヒーロー

息子が3月にデビューしてから、毎月あちらこちらでファミリーマジックショーをしています。
すっかり仕事の流れを把握したようで、彼なりに頑張っているようです。
ハードなスケジュールで大変なこともあるけど、一つの自信につながっている様で
デビューさせて良かったと改めて思います。



そう デビューした日に突然、舞台上でなんちゃってタップを踏んだ事がきっかけとなり
その日からというもの、登場したらタップを踊るという流れが定着して数か月が過ぎました。
予定にもないパフォーマンスだった事から肝心のタップチップ(靴裏の金具)が
着いていない状態で何公演もこなしていたのです
そんな音の出ないタップダンスに終わりを告げて、とうとう靴にタップチップを
つける日がやってきました。
とは言っても私の祖母が生前使用していたタップシューズからチップだけを
取り外し付けてあげただけの話なのですが。
でも本人は大喜びです。



私の幼少の頃と同じ。
思い返せば最初から本物のシューズなんて履いていなかった。
そもそも当時は、そんなに小さなタップシューズは売っていなかったのかも知れません。
今と比べて何でもかんでもインターネットで探せば買える時代ではなかったですからね。
父の自作のタップシューズでしたが、音が鳴る事が楽しくて愉快で何の問題もなく
お稽古を重ねていきました。

そんな楽しかったことも月日が経つと忘れてしまうものです。
今、私は母親の立場となりました。
本番の様子を毎回ノートに書き留めておく事にしたのです。
せっかくなので、今日はその中から先日のショーのお話を一つ。

通常ですと我々とヒーローショーは同じイベントに入ることが少ないのですが
先日、念願叶ってジョーが毎週楽しみにしている列車戦隊トッキュウジャーと
同じイベントに出演することになりました。
道具設営の為、早い時間から会場に入っていた我々の前でトッキュウジャー達の
リハーサルが行われていました。
正直、夢見る5歳に憧れの舞台裏を見せて良かったのだろうか…
と少し思いましたが、目を輝かせているジョーを見て
これも一つありなのかなと。
休憩をとるトッキュウジャー達。
トッキュウピンクのお姉さんがとても親切にして下さって
声をかけられたジョーはすっかり照れて、はにかみ顔。
マジック終了後にトッキュウジャーというプログラムだったので慌てて衣装を脱いで
トッキュウジャーショーを観に行ったようです。



イベント終了後、トッキュウピンクのお姉さんがジョーの元にかけよって来て
ポスターをプレゼントしてくれました。
「またね!」と一言残し、私達の前を走り去って行きました
その姿は、まさにいつもテレビで見ていたヒーローそのもの。
舞台裏でもヒーローはヒーローのままでいてくれたことが嬉しかった。
ジョーの目にどう映ったのかな。
きっと忘れられない1日となった事は間違いないでしょう。

今日のお話しはここまでですが、またいつか面白い記事があったら書き綴りたいと思います
では、また。

私にタップを教えてくれた人

今日はこの方の話をしましょう。



私の祖父 高杉 寿。(タカスギ ヒサシ)
この人が私にタップダンスを教えてくれた人でした。
今日は祖父と私の歩んだ道についてです。

私が初めてタップシューズを履いたのは5歳。
そして祖父は65歳。

今思えば、よくぞまぁ
話を理解しているのかも分からない子供に
基礎からしっかり教えてくれたなぁ・・・
と5歳児を育てている今、心から感謝しています。

祖父は私にタップダンス以外にバレエ、ジャズ、アクロバット
様々な振り付けを付けてくれた訳ですが
当時の祖父は既に70歳手前。
現役は既に引退しており、私が物心つく頃には足も巧みに動くわけでもなく
TAPの音はかすれてよく分からない。
今考えると日々の公演とトレーニングで身体はボロボロだったのでしょう。

アクロバットに関しては、教えるのはいつも口ばかり。
さも簡単そうに「ポーンポーンってやりゃいいんだ」と。
その後は決まって必ず「出来るよ」と笑いながら言いました。

当時は今のようにインターネットやyoutubeで検索という訳もいかず
写真も映像もない状態で、手がかりは祖父の「ポーンポーン」・・・

よくなかったと思う事は
先生といってもおじいちゃんと孫
この関係性がよくありませんでした。
あまえが出るのです。
レッスン中にベビースターラーメンを食べていたり
自由気まま好き勝手にやらせてもらっていました 笑
タップシューズは忘れてもベビースターラーメンは
ちゃんと持っていくんですから・・・

それでも祖父は怒る事もなく、いつも笑っていました。

甘える気持ちはさらにエスカレートしていくのですが
何をしても怒らないで笑っている祖父。
しまいには笑っている事にすら腹を立てるようになり・・・
どっかり、わがまま孫です。
毎回、自宅に帰ると「最高だった」と褒められる。

いつしか「最高」も当たり前のものとなってしまいました。
井の中の蛙とも知らず。
でも、ちょっとだけ知っていたのです。
だから他の世界を知るのが怖かったのでしょう。

それが小学生の頃の自分でしたね。

でも「最高」の魔法が終わる時がきました。
中学生になり、祖父母と一緒に見に行ったタップダンス協会のイベント。

他のタップダンス教室が沢山出演していました。
そこで初めて出会ったのが火口ダンススタジオでした。
「FUNK A STEP」というタップダンスを原型にした新たなスタイル。

私が知っている従来のタップダンスとは比べ物にならない位
斬新な世界が目の前に飛び込んできました。
自分が一番なんかじゃなかった事よりも
このスタイルを自分に取り入れたくて取り入れたくて。
今思えばこれが旅立ちの時だったのかもしれません。

私が火口スタジオでレッスンを受けたいと話した時
祖父は、いったいどんな気持ちだったのだろう。

戦後の混乱期にも関わらず、自分が「良い」と思ったも世界に飛び込んだ祖父です。
きっと情熱を止められない事も分かったのではないでしょうか。
優しく私を送り出してくれました。

天まで伸びていた鼻を根元からポッキリと折られましたが
そこから特訓の日々が始まり新たな一歩を踏み出したのです。

あれから何年が過ぎたでしょうか。
2年前に祖父が他界した時のこと。
斎場に祖父の最後に使用していたタップシューズと
祖父の現役時代の写真を飾ろうと出てきた写真を見て
もうびっくり。

初めて頭のあがらない存在だった事に気づかされました。
ここからは、祖父の現役時代の写真を掲載したいと思います。



その時の内容によって人数編成は違うみたいなのですが
当時はスピードダズラーズというチーム名で活動していた
ようです。
何年前のものなのか・・・
戦後というざっくりとした事しか分からないけれど。
もっとちゃんと本人から色んな話を聞いておけばよかった。

覚えている話としては、祖父がタップダンスを初めて
習ったのは小学校5年生の時だったそうです。
もちろんお月謝は子供が払える額ではなかった為
父親の大切にしていた書物を売って、こっそり月謝にかえていたとか。



破天荒っぷりは子供の頃からだったんでしょうか
現役時代は血が濃くて大変だったと昔から祖父を知る人は
口をそろえて話していました。
私が知っているのは優しすぎるおじいちゃんだったので
どうも一致しなかったのですが、
確かにこうやって写真を見ていると少しクレイジーな匂いがしますよね



「ぽーん」はこれだったのでしょうか・・・
ちなみに、中段で松明を扱っているダンサーが私の祖母。
祖父には祖母の事を出来ない生徒だったと聞かされていました
一緒に仕事をしているメンバーだったんですね。
本人が亡くなって何年も経ってから知りました。



また「ぽーん」だ。

とにかく恐かったらしく「出来ない」という事だけは皆
口が裂けても言えない空気だったそうです
実は昨年のスタジオダルクとのコラボ企画の時
はんにゃのお面が使いたくて、、、
そういえば祖父の使用していたはんにゃがある!!と
付けてみるもなんとも視界が狭いこと。



一見普通そうに見えますがこのお面。
実は能のお面で目の穴は2cmも開いていないのです。
2cm。お分かりでしょうか?
豆まきの時期に豆のおまけついてくる紙のお面の穴です。
しかもこれは木を彫って作られている為とても重たい。
泣く泣く諦めたのですが、これでアクロバットをしていた
スピードダズラーズは超人の集いだったのかと。



私がラスベガスに行ってきて土産話をしていても
「昔やっていた事」と話がいつの間にか
すり替わりまたも「ポーンポーン」・・・
お年寄りは昔話ばかりすると思っていましたが、
本当の話をしていただけなんですよね。

こちらは客船でしょうか・・・


なぜ祖父のポップコーンの発音が「パップコーン」だったのかが分かりました。
当時は笑って訂正していた私でした・・・
戦後の日本には沢山のアメリカ人がいて、その中に飛び込んで
踊っていたからなんですね。
パップコーン。大正解ですね。



あまりに格好良すぎる数々。
誰にも負けたくなくて、どれも力がみなぎっいて
いつだって自分を一番だと思っている。
その気持ちが写真にしっかり映ってる。
私がクラシックにこだわる要因はここなのかもしれない。



私は一人だけで出来ている訳じゃない。
私の前にはちゃんと歴史があって、こうしてレールが
繋がっていくことは本当に素敵な人生だと思う。

そして今、小さなタップダンサー3代目が
ステージで踊り初めているのだから。
 

タップダンス

このお話は1本の電話から始まりました
独立する前からお世話になっていたTanBAさんでした
話を聞けばTAPダンスを覚えたいとのこと。
芸の肥やしに出来ればと私達を訪ねて来てくれたそうです。
嬉しいですね。
TAPで思い出してもれえるなんて。

思えば昔。
TAKUYAがタップダンスを覚えたいとの事で
シューズを購入するも、傷一つつかないまま6年が過ぎ・・・
そのまま忙しさに負けて今日に至ってしまったという・・・
最近は頑張っている様ですけど、いつでも習える環境がいけなかったかな

私自身、ショーの本番こそあるものの基礎トレーニングに
なかなか時間を取ることが出来なかったので
今回TanBAさんの一言で大きな1歩を踏み出すことが
出来たと思っています。

そもそも私にTAPを教えてくれたのは、
タップダンサーだった祖父 高杉寿でした

Hisashi Takasugi

この方の話を書き始めると、
話が脱線してしまう事間違いなしなので、また後日。

話は戻って、、、
祖父はタップ以外にもバレエ、ジャズ、アクロバットまで
随分沢山の芸事を教えられました
何しろ私をはじめ、家族全員がダンサーになると信じて
踊りの道に精進していたわけですから・・・

人生面白いもので結局はマジックの世界に入ってしまった訳ですが
それもこれも祖父と歩んだ20年の道が無くては今はありませんでした

その祖父も2年前に他界してしまいました。
でも、いつも私のそばに居てくれている気がします

今回こうして遠のいていく事もなくTAPが
身近にあるのも祖父の導きかもしれません

祖父が亡くなる前に約束したことがありました
「現役を終えた頃にはタップダンス教室でも開こうかな
 その時は高杉の芸名で活動するね!」という会話。

でも現役を終える前に、そのタイミングが来てしまった様です。
TanBAさんのお蔭で回を重ねる度に人数も増え、楽しく踊っています



始まったばかりの今。
レベルは超初級です。

TAPをやってみたかった!!
けどスタジオを訪ねるのは、ちょっと勇気が・・・
という方、是非お待ちしております。

小田原マジッククラブ

マジックを趣味にした人々が集まり
プロマジシャンに指導をしてもらうマジッククラブが日本各地に存在します

その中の小田原マジッククラブは
私が普段、アシスタントのお手伝いをさせて頂いている
ジュニア渚さんが講師を務めているクラブです。

今回は、クラブの発表会ゲストという事で
ジュニアさんのアシスタントとして参加させて頂きました。



マジッククラブの皆様から頂いた素敵な花束…

実は、昨年もゲストで参加させて頂いており、
クラブの雰囲気をよく覚えていました
皆さん本当に和気藹々と趣味を堪能していて
クラブの統制もとれている事が印象深く記憶に残っておりました。
一年ぶりのこのステージ。
変わらず元気な顔で皆さんと再開出来るかと思って
楽しみにしていたところでしたが、やはりお年を召した方も多く
クラブの副会長を務めている森さんが大病をされたようで
本番を前に入院されたことがわかりました。

入院中もマジックの練習をされていたようで
病室にも様々な道具が置いてあったそう
発表会を諦めていなかったのでしょう。
本番間際の今月になって退院されたばかりとの事でした。

森さんは気丈な方です
心配する家族の反対を押し切り
車いすで参加することを決意されたようです

私も当日舞台袖で本番を見守らせていただいておりました
きっと、いつも以上の緊張だったかと思いますが
しっかりと前を向いて堂々と挨拶をして本番が始まりました

演技も中判にさしかかった頃、
細くなったその手で紙吹雪を握りしめ
次の瞬間立ち上がり、力いっぱい舞い上がらせてみました
きっと自分のイメージでは高い位置から紙吹雪を舞わせたかったのでしょう
車いすに座っていては成しえなかった

なんて強い方なんだと涙が止まらなくなりました

勿論立ち上がれたのは、ほんの一瞬。
そのまま車いすに腰を落とし演技を続行させ
最後まで諦めることなくしっかりとやり遂げた森副会長。
客席にはどのように映っていたでしょう
会場中が勇気を分け与えられたことと思います

私自身生きる力を与えられた気がしました
生涯忘れることのないワンシーン。
いつか私が年を重ね、越えられない障害にぶつかった時
森副会長を思い出すことでしょう

私の人生に大切なことを教えてくれたこの日をずっと胸に
しまっておきたいと思います

お元気で。
またいつか。
 

蛙の子は蛙。

先月の話ですが、息子がステージデビューを果たしました。
以前からトランプを片手に「ジョー君の衣装はいつ届くの?」と
やる気を見せていた息子でしたが、なかなかタイミングが合わず。

この度としまえん遊園地を初舞台とさせていただきました。



私も出演者だった為、そばに居てあげることも出来ず
ただただ準備に追われていました
本番前バタバタする両親を知ってか知らずか楽屋でもくもくと
自分の衣装に袖を通す姿を見て改めて大きくなったんだなぁ・・・
そう改めて実感していました

とは言っても、本番中にひょこひょこ舞台に出てきてしまったら・・・
出番前に姿を消していたら・・・
もしくは出番直前になって「やっぱりやめる!!」と言われたら等
親としては正直心配だらけだったのですが、
特に問題もなくショー中は舞台袖で待機してくれていました。



本番は初回ということもあり、ちょこっと出るだけと考えていたのですが
登場するなり何を思ったのか突然のタップダンスタイムが始まったようで。
勿論何も教えたことはないので、アドリブとなるわけですが子供はずるいですね。
我々よりウケてしまいました。
その日より、出てきたらタップダンスという形が定着。
毎回アレンジしながらトライしているそうです。
やっぱり蛙の子は蛙なのかな。



無事4ステージが終了し、としまえんさんより園内で使用できる
のりもの券をプレゼントして頂いたそうです。



せっかくの経験を生かして働くことの大切さを少しでも知ってもらえたらという
思いから実はギャランティーを約束していました。
現在放送中の戦隊物トッキュウジャーのロボットです。



嬉しそう。
大人になったらどんな職業につくのかな。

私たちが居なくても一人でちゃんと歩いて行けるように
日々の経験が彼への道しるべとなってくれたら親としては本望ですね。
 
今月のステージはどんな事が起こるかな。楽しみです。

描いた世界が現実に。

新年あけましておめでとうございます
もう2014年に突入してから17日が過ぎましたね
昨年は随分と省略されたブログになってしまいましたが
今回はあらためて、昨年制作した舞台の話を書いてみようかと思います
その時の公演写真と一緒にお楽しみ下さい。

昨年は本業のステージショーに出演する傍ら、
とある公演の構成を考えることに没頭していました



いつも我々ART FACTORYと提携してくれている
スタジオダルク309さんのダンス公演が行われるということで
主催の佐伯先生から出演依頼を頂いたことが話の始まりでした。



公演は全部で三部構成になっており、そのうち第二部を
ダルクとFEELのコラボコーナーとされていました。
オーダーの内容としてはトーク抜きで45分のショー。
通常はディナーの最中という事もあり、30分を基準に動いている我々にとって
全てを新たな演出で作り上げる事は時間的に不可能だと考えていた私でした。
でも今回は、佐伯先生のお力添えもあるという事ですし
せっかくの機会です、新テーマのプログラムを考えてみる事にしました。



1から考えることが出来るこのプログラムは
ある意味無限の可能性がありました
まずは、ダルク公演に足を運んで下さるお客様に
「面白かった!また観てみたい!」そう思って頂ける様になるには
一体どんな事をしたらいいだろう・・・



これまで数名編成のマジックショーの構成をしてきていても
ここまで大勢のダンサーさん達を動かすのはこれが初めての事。



ダンサーだった祖父母の元に育ちダンスが大好きだった私にとって
願ってもないチャンスでした。
とは言っても、まともに踊っていたのも振り付けをしていたのも
10年以上も前の事。
動きにも発想にもさっぱり自信がない私の背中を押してくれたのは佐伯先生でした。
素晴らしい機会を与えて下さった先生には感謝しきれません。

公演が終わった今となって思えば
マジック理論を知りながらのダンスの振り付けによって
今までに無い面白みに溢れた作品が生まれた気がします。



昨年一年間は、自分の中に眠るアイディアを掘り起こしては
ノートにひたすら描いてみたり、
この企画の事でずっと頭が埋め尽くされている感じでした。
きっと佐伯先生も同じ状況だったかと思います。
この公演をたった一人で何十年と続けてこられた先生は
舞台に人生を捧げていると言っても過言ではないでしょう。
私は、たったの一回でぐったりしてしまいました・・・^^;
本当に先生のパワーには圧倒されます



今回の舞台が成功に終わったのも全ては一緒に頑張ってくれた
キャストさん達あっての話です。
月数回しか顔を出せない私の振り付けを忠実に覚え
作品の精度を高めていってくれたキャストさん達。
一緒に舞台に立てて本当に楽しかった。
この舞台を終え総勢約30名のキャストと共にFEELは
また一つ成長することが出来ました。

終いに、写真データと共に思い出の詰まった舞台映像とメイキングが
一本のDVDになって届きました。
形に残るってこんなに嬉しいものなのですね。

形に残ると言えば、今回のコラボ企画のTシャツデザインも
任せて頂くこととなりました。



昨年一年が充実に溢れていたのは紛れもなくダルクさんの
公演があったからに違いないでしょう。

さて今年はどんな一年になるでしょうか。
一つ一つ楽しんでいきたいと思います。

今年の終わりころに・・・

「ゲームやテレビ、CG漬けの現代の子供達に
もっと現実を見ていいんだよと教えてあげたい…」

先日、ショー終了後にお客様から頂いた言葉でした
何気ない会話から出た言葉だったようですが
こちらにはかなり響いていて…

この話を聞くと自分の中で「マジック」というものが
いかに当たり前になっていた事かがよく分かりました

確かに初めてマジックショーを見た時の感激
燕尾服にシルハットをかぶったマジシャン。
出てきただけでそれはもう不思議な存在でした。
そのマジシャンの手から真っ白いハトが出てくる訳ですから
現実の世界でこんな不思議な事を起こせるのかと
衝撃を受けたことを思い出します。

子供は未来の日本を支えてくれる宝です。
その子供達に画面上ではない目の前で起こる奇跡を
しっかりと見せてあげたいと強く思いました。
心の引き出しに入る思い出や経験の一つに
なれる訳ですから光栄な話ですよね。

大人になった頃、私のことを誰だったのか覚えていなくてもいいんです
子供達の生きていく中で小さなスパイスになれたならそれでいいんです


それに気付かせてくれたお客様からのメッセージは
私にとって今年一番のプレゼントとなりました

今年も本当に様々な出来事がありすぎてすっかりブログの
更新頻度が少なくなってしまいましたが
本日のカウントダウンで2013年の仕事納め

来年もまた元気にお会いしましょう。
では良いお年をお過ごしください。

| 1/16PAGES | >>

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM